背番号10候補の南野は4年半がかりで“日の丸の似合う男”に
実際、15年1月にセレッソ大阪からザルツブルクに移籍後、イングランド王者へステップアップするまで丸5年を費やしている。
日本代表でも、19歳だった14年4月、ザッケローニ監督時代に代表候補合宿に初招集されながらA代表デビューまでは1年半を要した。定着したのは森保一監督体制発足の18年9月。4年半がかりで「日の丸の似合う男」になったのである。
「代表に関しては、待たされて良かったのかな。ため込んだパワーを森保ジャパンで開花させたから。ザルツブルクで何年も足止めを食らっていた時も『自分はビッグクラブへ行くことしか考えてません』と言い切り、途中で届いたオファーも断っていた」と16年リオデジャネイロ五輪代表の手倉森誠監督(現長崎監督)も打ち明ける。それだけ理想が高いのだ。
実際、彼は幼少期から世界的スターの一挙手一投足を脳裏に焼き付けてきた。3歳だった98年フランスW杯で活躍したロナウドやオーウェンのビデオを擦り切れるほど見て、大舞台に立つことを夢見てきた。筆者がフランスの現場にいたことを明かすと「いいなぁ~、ホンマうらやましい」としみじみ語ったこともある。