「オレ流」落合監督の入閣打診 早すぎる前々年12月だった
法大の先輩でもある中日・高代延博野手総合チーフコーチから「来年のコーチはもう決まっているから、再来年に捕手コーチをお願いできないか?」と声が掛かった。2003年12月のことで、05年シーズンの内々の打診だという。
■中日色を一掃したい
こういったオファーは普通、前年の9月以降が多い。就任したばかりの落合博満監督は、12月の段階で再来年のことを考えているのかと驚いた。04年6月になると、落合監督に呼ばれ、ナイター前の横浜スタジアムの監督室で正式なオファーを受けた。
「中日を改革したい。強くしたい。だから、中日色を一掃したいんだ。来年の人事は外様コーチが多いと思うから、気にしなくていい。よろしく頼みます」
現役時代の思い出がある。私がヤクルトの正捕手に定着した1988年ごろ、ちょうどロッテから中日に移籍した落合さんと何度も対戦した。他の打者より突出していたのは、バットコントロールより、ボール球を振らないこと。選球眼がいいということだった。