コーチから「メダルに一番近い」と太鼓判押されても半信半疑
日本バドミントン史上初の表彰台に上った私たちフジカキ(藤井、垣岩令佳)ペアでしたが、ロンドン五輪開幕前にはメダルなんて到底、及ばないと思っていました。
開幕前に期待されていたのは、女子バドミントンは2008年北京五輪で日本勢で初めて4強入りした先輩のスエマエ(末綱聡子、前田美順)ペアでした。北京を上回るメダル獲得を期待される先輩たちに比べたら、注目度は低かったので、ストレスもなく、リラックスして試合に臨めました。
私たちはスーパーシリーズでの優勝経験は少なく、過去の大会でメダルを獲得した先輩はいませんでしたし、自分が取れるなんて思いもしませんでした。渡英してから宿泊先のホテルで、朴柱奉ヘッドコーチと代表選手がミーティングした際、「君たち、2人が一番メダルに近いからね」と言われました。当時のフジカキは世界ランキング4位。朴さんは予選リーグを突破して決勝トーナメント(T)で1つ勝てばメダルに届くと読んだのでしょうが、当人たちからすれば、信じられず、ペアの令佳と「うちらが一番、近いんだって」「そんな、そんな」と、まるで人ごとのように話したのを覚えています。
1次リーグ終えると帰国準備
実際に開幕したら、台湾ペアに0-2と完敗して2勝1敗で1次リーグを終えました。3チームが2勝1敗で並んだため、勝手に1次リーグ敗退だと思い込んでいました。試合を終えてホテルに帰ると令佳とは「お疲れさまでした」「今までありがとうございました」と労をねぎらい合い、「オリンピックは楽しかったね」と感慨にふけっていました。
あとは帰国を待つだけという心境でしたが、コーチから「決勝T進出が決まったよ」って連絡が来ました。1次リーグの結果、3チームが勝率で肩を並べましたが、インドペアに得失点差でわずか1点上回って私たちの勝ち上がりが決まったのです。
決勝T進出は喜ばしいことですが、「え? まだ試合ができるの?」というのが正直な感想でした。私は五輪を目指すのはロンドンまでと決めていました。引退後の生活を考えてキャリアを積むためにも、競技に打ち込めるのは、もう最後だと思っていたからです。次の2016年リオを目指す気はなかったので、ロンドンでの勝ち負けよりも「また、この舞台でプレーできるんだ」という喜びの方が大きかった。
フジカキペアとして、少なくともあと1試合は同じコートに立てると感慨にふけっている私たちをよそにバドミントン会場の「ウェンブリー・アリーナ」では前代未聞の事態が起きていました。(つづく)