全国駅伝創設に関わった陸連幹部が明かした意外な本音「五輪につながるとは頭になかった」
22日、コロナ禍の影響で3年ぶりの開催となった今大会は、長野が2時間17分10秒で史上最多9度目の優勝を成し遂げた。
男子の全国駅伝が始まったのは1996年。陸連は、83年創設の全国女子駅伝の成功により、青木半治会長(当時)が92年に帖佐寛章専務理事(同)に男子大会の立ち上げを命じたのがきっかけだった。
「この大会から五輪のメダルを取る選手がきっと出る」
帖佐氏はそう信じて大会準備を進めていたと思い、話を聞くと「そんなことは頭になかった」と、こう語った。
「大学は3大駅伝、実業団もニューイヤー駅伝がある。青木会長には『駅伝ばかりではマラソン選手が育ちません』と言ったが、いつまでも反対しているわけにはいかなかった。とはいえ、長時間の交通規制が不可欠の駅伝の新設は警察が認めない。国内では箱根駅伝に次ぐ歴史ある中国駅伝の衣替えを考え、大会主催の中国新聞社の事務局長と広島陸協の幹部に頭を下げた。反対の声も多く、広島陸協の川村毅会長には苦労をかけた。当時は五輪につながるとはまったく頭になかった」