僕が引退試合を拒否した理由…阪神には愛着以上の感情も、野球を続けたい気持ちが勝った
これを機に05年途中から悪化していた持病である中指の「バネ指(指の腱鞘炎の一種)」の手術を行うことにした。
両手の中指の関節にロックがかかり、送球ができなくなる。しかも、いつ症状が出るか分からないというくせもので、打撃より守備に影響が出ていた。手術は送球を行う右手中指の腱鞘を削るものだった。
バネ指の手術から復帰した07年は、開幕から「5番・三塁」として出場したものの、一向に打撃の調子は上向かない。僕は長距離打者ではなく、アベレージヒッターだけに、本塁打や打点が求められる5番は向いていなかった。
それでも周囲には05年に147打点を叩き出したイメージがあるのだろう。僕自身も05年の幻影を追っていた。当然結果も出ず、07年7月末から2カ月間ほど二軍落ちを経験した。阪神でレギュラーに定着した02年以降、ケガ以外の理由では初めてのことだった。
打てないのだから、レギュラーから外されるのは当然だが、会見で「自分の気持ちをスカッとさせたい」と言ったのは、不完全燃焼が続いていたからだ。