「現在落語論」立川吉笑著
立川流の二つ目・吉笑さん(31)が本を書いた。それも、師の師である談志著「現代落語論」のオマージュ的タイトルをつけて。
一度でも彼の寄席を訪れたらわかるが、その噺は実に「本的」である。「舌打たず」「粗粗茶」「ぞおん」など彼の創作を聴くと、ちょっとした短編、あるいは科学の読み物を読んだような感を覚える。
発売後すぐに、本屋で見つけ、読んだ。読んで、拍手喝采した。よくぞ書いてくれた!と。なぜなら、「落語」を「出版」に置き換えると、我が事の話ばかりだったのだ。
半世紀前、談志は「現代落語」が「ただの伝統芸能」になってしまいかねない状況に警鐘を鳴らした。一方、「現在」、落語はその伝統性が失われ、「ただの大衆芸能」になりかねないと吉笑は喝破する。
あくまでも落語を「笑いを表現する手法」として捉える吉笑だが、だからこそ、落語でしかできないことを真剣に考える。そうして行き着いた先が、「伝統も大衆性も大事」。彼の得意とする擬古典に象徴されるように。
それとともに、師について大胆な言及を重ねるあたりに、伝統への並々ならぬ思い入れを感じた。弟子入りの経緯に触れるだけでなく、なんと、自分の師・談笑の芸について分析する。という高度な「芸」を披露しているのだ。
誰もが認める「過激さに富んだ発想力」が持ち味であることを述べた上で、師の真の凄さは、「物語の本質を掴む」力だと指摘。弟子の自分だけが知っている! と言わんばかりの筆致に、ああ、この師弟関係よ、と感じ入らずにいられない。出版に限らず、現在のあらゆる産業に欠如しているのは、(上下関係ではない)こうした関係が醸す豊かさではないか、とさえ思った。
競争主義、商業的システムからは突出した才能が時々生まれても、落語界全体の発展は見込めない。
相互扶助的世界に「生かされた」最後の世代である一人の若手が、身を投じて、自分の生きる世界を未来へつなげようとする。本書はその懸命の試みであり、これから各産業を担う世代一人一人の声を代弁しているかのような「現在仕事論」でもある。言うまでもなく、落語入門としても見事。
(毎日新聞出版 1400円+税)