「けもの道の歩き方」千松信也著
ミシマ社京都オフィスから車を30分も走らせれば京北町に着く。昨夏、会社の合宿で訪れると、澄んだ空気と満天の星空にすっかりやられた。1週間後、再訪熱に浮かされ、家族を連れて向かった。夕食後、無人の宿に着くと、暗闇に突如現れたのが3匹のシカだった。その距離、数メートル。
そのとき多少びくつきつつも、冷静に「噂は本当だったんだ」と思った。その噂とは、(林業中心のこの町では)人の数よりはるかにシカの数が多い! たしかに事実ではあるが、自分の理解がいかに浅薄か、その時点ではまだ知らずにいた。
著者は、私より1歳上の74年生まれ。京都在住(面識はないが大学の先輩)。銃ではなく、わな猟を専門とする猟師である。ただし専業ではない。現金収入は地元の運送業で得、「自分で食べる肉は自分で責任をもって調達」する。私たちが肉屋やスーパーで肉を「買う」のに対し、森がその調達先であるわけだ。
そんな若手猟師の目になってひとたび近隣の山々を歩きだせば、シカ、イノシシ、サル、クマ、キツネ……「けもの道」がすぐそこにあることに間もなく気づく。
猟期になれば、イノシシより先回りして、わなを仕掛ける。そうした日々のやりとりを通じて、「自然界の生き物は本当に律義に自分たちの習性に沿った生き方を貫いている」ことを実感する。そして「自分の周りにいろんな生き物が生活していることを知り、自分の暮らしを見直す」ようになる。
先に、自分が浅薄だったと述べたのは、近隣の自然すら何も知らないでいたからだ。そのくせ、「今」だけを見て「増えた減った」と同調していた。著者が言うように、「シカやイノシシ対策をせずに農業を行うことができたこの百年」がむしろ特殊な時代だったのだろう。
そんなことも知らず、「これからの時代を」などと威勢のいいことばかり言っていたのだ。
「野生動物の仲間に交ぜてもらいたい」。著者のこうした姿勢こそ、わが身に欠けているのではないか。そう捉えることができたとき、数メートル先にいたシカが恐怖でも捕獲の対象でもなく、「自分」なのだと思えてきた。(リトルモア 1600円+税)