応仁の乱 基礎知識がわかる本特集
今年は応仁の乱が勃発してから550年の節目の年。それゆえか、この大乱をテーマにした新書が、異例のベストセラーとなり、にわかにブームを巻き起こしている。室町時代から戦国時代への分岐点になったといわれるが、学校で習ったのははるか昔。そこで今週は、高い知名度とは裏腹に、あまり知られていないこの大乱を解説した歴史本4冊を紹介する。
1467(応仁元)年から足かけ11年も続いた応仁の乱とは、そもそも何だったのか。その間、全国の大名が東西に分かれ争い、戦場となった京の町は荒廃、結果として幕府と公家勢力の権威が失墜し、戦国時代の扉が開かれることになったといわれる。
本書は、人間関係が複雑で、登場人物も多く、その全体を理解するのが難しいこの大乱の概要を、分かりやすく解説した基本テキスト。
「戦国時代前夜 応仁の乱がすごくよくわかる本」水野大樹著
この前代未聞の大乱が起きた大きな要因は3つ。ひとつが、8代将軍・足利義政の後継を巡る将軍継嗣問題。男子が生まれなかった義政は、実弟の義視を後継者に指名したが、直後に実子・義尚が生まれ、幕府内でそれぞれを推す派閥が対立したのだ。そこに、有力守護大名・斯波家と畠山家の内訌(内紛)、さらに細川勝元と山名宗全の権力・権益争いに各地方の守護大名らの対立関係が組み込まれていき、大乱へと発展していったという。
当初、義政は、義視との約束の手前、義視に継がせた後に、義尚を将軍にしようと考えていた。妻で、義尚の母親の日野富子も妹の夫である義視を中継ぎにすることに賛成で、勝元も宗全も異論はなかったという。
しかし、義尚の将軍就任に執念を燃やした政所執事で義尚の乳父(養育者)の伊勢貞親が、義視が宗全らと組んで謀反を計画していると義政に讒言。ダシに使われた宗全は怒って京に軍勢を呼び寄せ、伊勢貞親の処分を義政に迫った。将軍側近の貞親の失脚(文正の政変)がきっかけで、存在感を増した勝元と宗全の対立が先鋭化したという。時系列的に出来事や時代背景を解説しながら、乱にいたる経緯から、それぞれの合戦の推移までを詳述する。
(実業之日本社 800円+税)
「応仁の乱」呉座勇一著
現在のブームのきっかけとなったのが本書。
応仁の乱は、大規模で長期にわたる戦乱なのに、大名たちが何のために戦ったのか見えてこず、劇的で華々しいところもまるでなく、ただただ不毛で不条理。それが難解さを招いていた。
本書では、応仁の乱と同時代を生きた奈良・興福寺の高僧である経覚と尋尊の2人が詳細に書き残した日記を読み解き、大乱の遠因となる6代将軍・義教の時代の大和の争乱から時代を追って、応仁の乱にいたるまでの出来事を詳述。さらに大乱の全容から、終結、そしてその後の幕府の落日まで。さまざまな側面を持つ大乱を、それぞれの登場人物の立場に沿って描き、歴史好きはその臨場感に酔いしれることだろう。
(中央公論新社 900円+税)
「応仁の乱」洋泉社MOOK
こちらは、図版や年表、家系図など豊富な視覚的資料を添えて応仁の乱のポイントを解説してくれるビジュアルムック。
まずは応仁の乱を理解するのに欠かせない室町幕府の組織構成や守護制度、義政が残した東山文化などの時代背景をレクチャー。
その上で、大聖寺境内に立つ花の御所と呼ばれた室町第(室町幕府将軍の邸宅)跡地の碑をはじめ、応仁の乱の幕開けとなった上御霊神社、山名宗全の屋敷跡、西軍についた大内政弘が大軍を率いて布陣した船岡山城などの史跡をガイド。
さらに、義政や日野富子ら、応仁の乱を知る上で欠かせないキーパーソン12人の人物像や軌跡を紹介するなど、現地に行かなくとも歴史散歩を楽しめ、サブテキストに格好の書。
(洋泉社 1200円+税)
「図解応仁の乱」小和田泰経監修
イラスト・地図・系図・年表で応仁の乱の全容がざっくりわかるビジュアルムック。
本書の特徴は、1467年(文正2年、後に応仁に改元)の京都山城での上御霊社の戦いに始まり、1477(文明9)年10月13日に、同じく京都の山城で畠山義就と大内政弘が戦い、双方が自領に帰還したことで、応仁の乱が終わった最後の戦い「木津城の戦い」までの全162合戦を時系列でポイント解説してあるところ。
各戦いの日時と場所、西側・東側の武将名、そして戦いの布陣と戦況がコンパクトにまとめられている。
応仁の乱の戦場での戦いぶりは、史料が少ないためによくわかっていないが、本書では室町時代に描かれた「十二類合戦絵巻」の戦闘シーンから、弓、薙刀、太刀、槍が中心の集団戦であったこと、のちに、武士ではなく、夜盗や野伏といった臨時雇用のアウトロー「足軽」が現れ、彼らが組織され、次の戦国時代の主戦力になっていったと解説する。
(枻出版社 880円+税)