畑中章宏(民俗学者)
5月×日 書き下ろしの新刊を立て続けに出そうとしているものだから、資料・史料の渉猟的な読書にしか時間が取れない。そうこうしているうちに、どうしても読んでおきたい新刊が発売される。読み始めると眼の前の仕事の励みになるものだ。
校正作業のあいまに届いたのが岡本亮輔著「宗教と日本人―葬式仏教からスピリチュアル文化まで」(中央公論新社 902円)。宗教的なるものの消費主義を批判的に検討しながら、〈信仰〉というキーワードを軸に、現代社会の〈感情〉を読み解こうとした快著である。
5月×日 気分転換に博物館に出かけた。このコロナ禍に休館している施設が多いなか、奈良県香芝市にある二上山博物館は開いてありがたい。「疫病退散! 祈りかなえたまえ―大坂山口神社の神像群」は、疫病除けの神、牛頭天王像の古例を展示した、時宜にかなった展示だった(6月13日まで)。
5月×日 校了間近の拙著「廃仏毀釈―寺院・仏像破壊の真実」(筑摩書房 880円 6月10日刊行)は、幕末維新に起こった悪名高い宗教政策を扱いつつも、千年以上に及ぶ神道と仏教の共存時代にページを費やした。ようやく読了した稙田誠(わさだ・まこと)著「中世の寺社焼き討ちと神仏冒涜」(戎光祥出版 9240円)も拙著のモチーフと重なり、日本人の〈信仰〉をめぐる、ある意味不可思議な行動を描き出している。
織田信長は比叡山延暦寺の焼き討ちのように、宗教施設を破壊することにためらいはなかったのか。これは、だれもが感じる疑問だろう。寺社と敵対した戦国武将は信長以外にもいたが、一方で社殿や堂塔を寄進してもいる。そんな中世人の一見矛盾した行動を「神威超克」「神仏恫喝」「神仏唾棄」と呼ぶらしい。なんとも想像を刺激する言葉ではないか!
神仏への切実な願いがかなえられなかったとき、中世人の信心は損なわれてしまい、「冒涜」や「唾棄」へと至るのである。大部の新刊だが、じっくり読みたい労作だ。