「慟哭の日本戦後史 ある報道写真家の六十年」樋口健二著
石油コンビナートから吐き出される煙で汚れた四日市の空。ぜんそくに苦しむ人々。被曝の危険にさらされながら原発内で働く労働者たち。開発の名の下に行われた凄まじい自然破壊。樋口健二の写真は、高度経済成長の裏側にあった無残な現実を、見る者に突きつける。
「四日市」「原発」「毒ガス島」など、数々の写真集で知られる報道写真家・樋口健二は、1937年、信州の寒村で生まれた。家業の農業では食えず、22歳で上京、職業を転々として底辺の労働を体験する。カメラに触れたこともなかったが、24歳のとき、ロバート・キャパの写真展を見て衝撃を受け、報道写真家を志した。なけなしの金をはたいて写真専門学校に入り、ゼロから出発してフリーカメラマンになった。当然ながら稼げない。だが志は高く、四日市の公害問題を撮り始めた。質屋に通い、妻の蓄えを取り崩して取材費を捻出、四日市に通った。公害被害者の家に泊めてもらうこともあった。写真展開催を考えたが、会場からことごとく拒否された。高度経済成長に沸く日本社会は「暗い写真」を嫌い、豊かさの裏側に置き去りにされた弱者、被害者に目を向けようとしなかった。
それでも樋口は前に進む。産業公害、自然破壊、そして原発被曝労働者の実態にも目を向けた。多くの障壁を乗り越えて、定期点検中の敦賀原発内部の取材に成功。被曝労働は孫請け、ひ孫請けの未組織労働者が担っていた。そして2011年、福島第1原発事故が起きた。四十数年かけ被曝労働者を取材し、安全神話に疑問を投げかけてきた樋口に講演依頼が殺到した。
真実を追い求め、めげずにブレずに撮り続けた報道写真家の自伝は、日本戦後史の重要な目撃証言でもある。その貴重な証言に、私たちは謙虚に耳を傾け、目を凝らさなければならない。同じ轍を踏まないために。
(こぶし書房 2420円)