稲垣えみ子(フリーランサー)
3月×日 広告で花村萬月著「ハイドロサルファイト・コンク」(集英社 2420円)発売を知り衝撃。文芸誌「すばる」で連載を超愛読していて、だがこのところ載っていなかったので花村氏の健康状態を勝手に案じていたのだ。何しろこの小説は氏の地獄の闘病記なのである。
それが刊行! ってことは連載終了マークを見逃しただけ? 何にせよこの小説は危険だ。我らの甘甘な「生きる覚悟」を的確に狙ってくる。氏が頼った最先端医学の贈り物とは結局のところ終わりなき投薬と激痛と壊れゆく体であり、生きようとするほど唖然呆然の地獄のグルグル巻き。それでも書いて書いて書きまくる氏が恐ろしくて美しくておかしくて目が離せない。
3月×日 ところでなぜ私が「すばる」を愛読しているかというと、新聞社を辞めた直後にエッセーの依頼を受け、以来毎月送って下さるという事情による。今じゃ郵便受けに届くや否や5階の部屋まで駆け上がり貪り読む。何がイイって、自分なら本屋でもアマゾンでも選ばない未知の作品が向こうからやってくること。興味の持てぬものもあるが、それをはるかに超え「すっげえ」作品が山ほどあることに驚いた。選べることが豊かさと思ってたが、選ばないことの中に豊かさがあったとは! ってことで、新刊書コーナーに永井みみ著「ミシンと金魚」(同 1540円)と石田夏穂著「我が友、スミス」(同 1540円)が並んでいるのを見てニヤつく。だって今年のすばる文学賞と佳作で、双方「すっげえ」と読んだばかりなんだもん。応援していた地下アイドルがメジャーデビューしたかのような晴れがましさ。
3月×日 この「選ばない」読書の一環としブックカフェで読むのも好きなのだが、そこで出会ったルシア・ベルリン著「掃除婦のための手引き書」が文庫に(講談社 990円)。これも危険な作品だ。いわゆる「不幸な弱者」たちのロックな日常がカッコよすぎてヒリヒリしなきゃ人生じゃない気になってしまう。著者は3度離婚、4人の息子のシングルマザーで、職を転々とし、アルコール依存症で、死後10年を経て作家として再発見されたそうだ。改めて傑作と地獄の関係を思う。