芦原すなお(作家)
2月×日 毎週金曜日の夜は音楽仲間と地元のスナックでライブをやっていたのだが、コロナ禍の為に2年間も中断している。電車にもほとんど乗らない。本好きでよかったとつくづく思う。読書なしでは生きてこられなかったかも、とさえ思う。
で、井上荒野著「あちらにいる鬼」(朝日新聞出版 825円)。作家の男と女の恋愛模様を、女と男の妻の視点で描いているのだが、男のモデルは作者の実父・井上光晴、女は瀬戸内晴美(寂聴)なのだ。男は社会の不正に激しく憤る純な一面も持つ作家だが、とにかく呆れるほど女癖が悪く、大嘘つき。そんな男を、女も妻も、愛し且つ嫌悪する。
実の娘がよくぞここまで書いたなと感心する迫力で、作者が人間の本性を見詰め続ける覚悟を持った作家であることを示している。
2月×日 トム・ロブ・スミス著「チャイルド44(上・下)」(田口俊樹訳 新潮社 上781円 下737円)。スターリン時代の末期のソ連。捜査官レオが、44件の連続児童惨殺事件を、教師の妻ライーサとともに命の危険を冒して捜査し、実に意外な犯人を見つける。犯罪の様態もすさまじいが、誰もが虚偽の密告などで国家反逆者として処刑される可能性のあるような国であり、時代なのだ。とにかく、こんな怖い作品はめったにないだろう。これは3部作の第1作で、第2、第3と続く。怖いけど、それらも読まないわけにはいくまい。
2月×日 伊集院静著「ミチクサ先生(上・下)」(講談社 各1870円)を読む。ぼくは中学生の頃に漱石の「吾輩は猫である」を読んで以来ファンとなり、後に押しかけ没後弟子となった。漱石の文章は措辞が巧みでリズムが実に心地よい。読むこと自体が快感である。その漱石の生涯を描いたのが本書だ。細かく丹念に書き込んであるのに文章は軽快で、ぐいぐい引き込まれる。まさに巻措く能わず、である。これまで断片的にしか知らなかった漱石の人生のあれこれが、すっきりとつながった。正岡子規との友情は、まさに胸に迫る。