遅咲きの名バイプレーヤー 大杉漣さんは気遣いの人だった
これまで大病を患ったとか、持病があったという話も公にはないのだから、その死を受け止められない関係者が少なくないのも当然だろう。
数々の助演男優賞を受賞した98年、スポーツ紙記者の選ぶブルーリボン賞では、「ピンクリボン賞とブルーリボン賞の両方を取ったことがあるのは、おそらく僕ぐらいのものでしょう」とおどけていた。
■「どんな役柄でもいいから」
記者たちに囲まれての受賞インタビューでは、職業によって違うというたばこの吸い方を実演。「やくざはね」と、顎をひいて、口元で火をつけるしぐさを披露し記者をうならせた。「次はサラリーマンをやってください」とのリクエストには、「君は監督かプロデューサーか」と質問者に突っ込み、笑いを取っていたという。
自らも成功するまでに苦労したからだろう、気配りの人は夢を追う者に優しく、その背中を押す情に厚い男でもあった。前出の鈴木元氏が続ける。
「インタビューから何年か後、私が映画会社で宣伝プロデューサーとなり、大杉さんが出演していた作品を担当した際、イベントの楽屋でお会いすると、こんな言葉をかけてもらいました。『元ちゃんが脚本でも、プロデューサーでも、最初に映画をやるときはさ、どんな役柄でもいいから出演させてよ』と。涙が出るほどうれしく、胸に染みました」