遅咲きの名バイプレーヤー 大杉漣さんは気遣いの人だった
大杉さんは売れっ子になってからも、若い映画製作者への協力を惜しまなかった。
「ある大学の映画研究会からのオファーを受けたときは『俺はプロの役者だから、タダというわけにはいかないんだ』と答えたそうです。それで学生たちがお金をかき集め、大杉さんの参加のもと、2泊3日の新潟ロケを行い、撮影が終わってギャラを渡そうとしたところ、それをそのまま学生たちの手に戻して、『君たちの映画のために使って』と言った。そういうエピソードがいくつもあります」(鈴木元氏)
スクリーンの外でも、ドラマのように、接する人々の心に感動を刻んでいた大杉さん。その早すぎる死はあまりにドラマチックともいえ、ファンも関係者も現実が受け止められず、泣くこともできないでいる。