「平成日本のよふけ」で実感“突き抜けたモノ探し”の重要さ
【法則8】激レアを探す
多くの人気番組を制作し、バラエティー界を牽引してきた小松純也(52)。フジテレビで放映されていた「平成日本のよふけ」(1999~2008年)も、小松が手がけた番組だ。
毎回、政財界の大物や元ヤクザなど、ひと癖もふた癖もある“傑物”をゲストとして招き、自分の体験を語ってもらう人気番組だった。小松は「日本のよふけ」について、「人生の修行みたいな番組だった」と振り返る。影響を受けたゲストのひとりが、瀬島龍三(写真=元伊藤忠商事会長)だという。
瀬島は日米開戦当時、30歳の若さで陸軍参謀本部に所属していた。
「番組を立ち上げる時、瀬島さんが出てくれたら最後でいいやって話をしていました。僕の親戚が大本営にいたことをお話ししたら、覚えていらっしゃって、ちょっと涙なさりました。難しいかと思ったのですが、出ていただけたんですよね。40分くらいお話しいただいたらもう十分ですって言ったんですけど、3時間ぐらいお話ししていただきました。瀬島さんは、戦争に負けるとも、何百万人が死ぬとも思っていたけれど、命令を受け、開戦のスイッチとなる『ヒノデハヤマガタ』という暗号文が入った電報を電信係に渡した、という話をされた。渡した時『手が震えたよ』とおっしゃっていました。日本の命運が若者の指先に託されるという歴史の凝縮のされ方が印象的でしたね。瀬島さんは番組の最後に若者に向けたメッセージとして、『世の中というのはすべて変わります。ただ一つ変わらないことがあります。それは、物事が変化するということです』とおっしゃった。いまでも、まさにそうだなと思いますね。とくにテレビとか、ネットとか、世界が急激に変化していく中で、どういうふうに世の中を見ていけばいいのかという時にその言葉が浮かびます」