電波少年で時の人 伊藤高史さん「朋友」から21年後の今
帰国後は月収は数百万円を超えたことも
かくして「朋友(広東語で親友の意)」コンビによるアフリカ・ヨーロッパ縦断ヒッチハイクは、98年1月29日にスタート(放送は2月15日)。目指すはノルウェー・スレットネス灯台、2万2000キロ超の旅だった。
「結局、18カ国を通過して11月14日、ようやく到着。何度も危険な目に遭ったのですが、死にかけたのがスーダンのバイユダ砂漠。気温が50度を超えて熱中症で気を失ったんです。チューヤンの機転で助かったものの、本当にヤバかった(笑い)」
ゴールの瞬間、日本では特番が組まれ、35%を超える高視聴率。帰国後の11月22日に千葉・舞浜のNKホールで行われた公開「朋友帰朝報告会」には、12万5000通もの応募があり一躍、人気タレント、俳優に。月収は数百万円を超えたこともあった。
「電波少年効果は絶大でした。ただ、2002年にニューヨークへ仕事で行った時、パスポートの出入国ビザのスタンプがあまりにも多く、しかも半分がアフリカの紛争地域。それで危険人物と勘違いされ、空港で拘束されてしまったのには参りました(笑い)」
その後、チューヤンは香港にUターンし、クリエーターとして活躍。今も朋友関係は継続中だ。
プライベートでは、10年11月19日にヘアメークアーティストと入籍。7歳の長男、5歳の長女、3歳の次女に恵まれた。
「実は11月に4人目が生まれる予定なんです。結婚記念日、僕の誕生日、赤ちゃん、そして仕事。今年の11月は特別忙しくなりそうです」
(取材・文=高鍬真之)