サザン桑田の才能を見抜けなかったことに一生悔いが残る
言うまでもなく、筆者を含めたすべてのロフト関係者が、とても誇りに思ったものだが、近しい距離にいながら桑田佳祐さんの圧倒的なパフォーマンス力を、サザンというバンドの才能を見抜けなかったことは、一生の悔いとして残っている。
サザンがシモキタ・ロフトから羽ばたいていったころ、新しいロックの時代が迫っていた。とはいっても、まだまだミュージシャンの絶対数は少なかったし、多くのバンドのライブ動員力は、常に悲惨な状況だった。
「とても毎日ライブなんてできない。お客さんがとにかく入らない。ライブだけでは赤字になる」
ライブハウス稼業を始めて身に染みた。
どうやって経営していくか? 熟考を重ねた。
昼に店を開け、ライブが始まるまでの時間帯を<ロック喫茶>にして大学生や高校生を集めた。彼らは、コーヒーやコーラを飲みながらレコードを聴いていた。
そしてライブが終わって午後10時30分くらいになると<ロック居酒屋>がスタート。始発電車が動きだす時間まで営業した。この時間帯に集まってきたロックファンたちのカネで、ロフトはツブれないで済んだのである。