インタビューマン山下
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インタビューマン山下ライター

1968年、香川県生まれ。92年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも17年に芸人を引退。現在はインタビュアー・ライター。

ウンナンはお笑いの“共通ワード”を2つも生み出していた

公開日: 更新日:

 私がコント赤信号のリーダー渡辺正行さんにインタビュー取材した際に明かしてくれました。

「コンビニのコントで自動ドアが開く時に口で『ウイーン』って言うじゃないですか。あれはウンナンが初めて『ウイーン』って言ったんですよ」

 その事実を知った時は芸人時代に当たり前のように「ウイーン」と言っていた私にとって衝撃でした。少なくとも私がデビューした1992年ごろの芸人仲間の間ではすでに「ウイーン」は定着していたと思います。しかしそれ以前の86年に関西で放送された「秋の新笑品発表会」(関西テレビ)で今田耕司さんが喫茶店の設定で1人コントをやっている映像を私は見ました。

 そのコントで自動ドアを開けて入店する今田さんは「ウイーン」ではなく「ブィー」と表現していたのです。ですから86年時点ではまだ「ウイーン」が定着していなかったことがうかがえます。

 一方ウンナンさんが「ウイーン」と言った場所は「ラ・ママ新人コント大会」という渡辺さんが86年から主催し現在も定期的に開催されている老舗のお笑いライブ。このライブの初期メンバーにはダチョウ倶楽部さん、さまぁ~ずさん、爆笑問題さんなど名だたる芸人さんが出演しておりウンナンさんもその主要メンバーの一組でした。その「ラ・ママ」の舞台でウンナンさんが「ウイーン」と表現していたのを渡辺さんが目にしていたのです。よって86年ごろからウンナンさんが「ウイーン」と言い始めて、おそらく同じ「ラ・ママ」のライブに出演していた芸人さんたちも使い始めたことで徐々にお笑い界に広まっていったと思われます。

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