宇多田ヒカルのノンバイナリー公表は必要か? ジェンダー問題の息苦しさ
■欲しいのは用語やカミングアウトより"寛容さ"と"社会制度"
筆者自身、LGBTQの知り合いや取材などを通して社会全体の枠組みとして"性"というものに捉われない価値観の形成が重要であることはもちろん承知しているつもりだ。
しかし最近、LGBTQやジェンダーに関する話題が乱立しているのを見ると、カミングアウトすること自体がファッションになりつつあるのと、社会を変えるよりも自分を認めてもらうための主張になっていっている空気感を感じ、それがマジョリティー側の閉塞感を生んでいる気がしてならない。
このままだと"女性に生まれて良かった"などの発言も「ジェンダー差別だ」とか「LGBTQに配慮のない言葉」といわれかねないのではないかと危惧している。
JALや東京ディズニーリゾートの「レディース&ジェントルメン」のアナウンス廃止なども、「正直そこまでやる必要性があるのか?」と感じるし、実際にLGBTQの方々に意見を聞いた時も「私たちが求めているのはそういうことではなく、社会の制度そのものや、LGBTQや性的マイノリティーに対する寛容さが欲しいのだ」というリアクションが返ってきた。