<63>中上健次さんとの仕事で韓国へ ソウルの路地に捕まっちゃった
これまで韓国には7、8回行ってるかな。最初に行ったのが『物語ソウル』の仕事で、中上健次さんと一緒に行ったんだよ。中上さんて、書けないっつうんじゃなくて書くのが遅いんだよね。だから、待ちきれずに遊びがてらロケハンと称してソウルに行ったの。もう韓国に遊びに行こう!ってね。先乗りしたんだよ(小説家・中上健次は1976年『岬』で第74回芥川賞を受賞、戦後生まれ初の芥川賞作家となった。1992年、腎臓がんの悪化により46歳で早逝。共著『物語ソウル』は1984年パルコ出版より刊行)。
初めて韓国に行くんだから、やっぱり釜山から入るのが礼儀だとかなんとか言って、下関からフェリーに乗って行ったんだよ。そうか、1982年かぁ~。下関から釜山に着いてもさ、すぐには船から降ろしてもらえないんだ。夜が明けるのを待ってね。湾の中で船が停泊したまま3時間ぐらい待たされて、ようやく降ろされるんだよ。一緒に船に乗ってた「在日」の人たち、最初は日本語で話していたのに、釜山に近づくにつれてどんどんどんどん韓国語になっていくんだ。それまでオレたちと日本語で話していたのが、韓国語になっていったのが印象に残ってるね。
それと、当時はボディチェックがきつくてね。日本人には緩いのよ。ところが「在日」の人たちには厳しくて、とくに女の人は細かく調べられてたね。朝早く釜山に着いて、漁港だから朝市があるのよ。だから最初に撮ったのは、その朝市かな。朝市に仕入れにくるおばさんたち、だったと思うな、元気なオモニたちだね。
陽子の通夜に都はるみの「好きになった人」を唄ってくれた
中上さんが「なかなか書けない」って言ってたんだけど、できたというんで一緒にソウルに行ったんだよ(1984年)。1週間以上いたんじゃないかなぁ。中上さんが、文学、韓国、ソウルは路地からはじまるんだって言ってたけど、それは韓国に限らず、どこでもそうなんだよね。で、文学は路地からだっていうんで、雪解けに雨が降ってる韓国の路地を中上さんが案内するって言って案内されて、そこで捕まっちゃったね、ソウルの路地に。
オレにとっておもしろいのは、路地とか道なんだよ。ど~しても道っつうか路地に入りたいとか、道を撮りたいとか思うわけ。路地を歩いてると、両側から湿度とか体温とかが伝わってくる、そういうのが路地だよね。そういうとこが好きなんだよね。そうかぁ、中上さんとソウルの路地を歩いてから37年が経つんだねぇ……。中上さんは陽子の通夜に、都はるみの「好きになった人」を唄ってくれたんだよ……。
(構成=内田真由美)