BTS誕生の背景 成功のカギはマイノリティー戦略と動画配信アプリ
TWICEやNiziUの生みの親で、韓国3大事務所のひとつ、パク・チニョン(別名:J.Y.パーク)のJYPから独立したパン・シヒョクが2005年、BigHitエンターテインメントを設立。13年6月に事務所初のアーティスト・防弾少年団(のちのBTS)が誕生しました。同年は、現在生き残っているアイドルが他にいないほどアイドル不作の年。デビュー時は、BTSもアイラインの濃いメークに、髪色明るくみんな同じ制服衣装でした。
しかし、彼らには、「“K-HIPHOPアイドル”という新たなジャンルの確立」「日本・海外進出」「SNS動画配信」の3本柱の戦略がありました。
リーダーのRM(27)の「RM」とはラップモンスターの略。英語が堪能でラップの才能がずばぬけていたRMをメインラッパーに、SUGA(29)とJ-HOPE(28)の3人がラップ担当、作詞や自己プロデュースにも力を入れ、新たなジャンルを開拓していったのです。
■海外で絶対に売れようという気概があった
「女性自身WEB」で韓流ナビゲーターを担当していた田原章雄氏はデビュー間もないBTSをインタビューした時の様子を「とにかくダンスパフォーマンスが圧倒的に良かった。メンバーも非常に礼儀正しく、腰が低い。それまでのHIPHOP系K-POPアーティストといえば、斜に構えたり、態度が悪いアーティストも多かった。しかし、リーダーのRMは非常に紳士的で、日本のメディア対応は日本語でほぼ話せるレベル。他のメンバーも日本語をある程度話せたし、滞在中は日本語の先生も帯同し、日本という市場に注力し、海外で絶対に売れようという気概があった」と語っています。