酒井とおるさんは今…「もう引退やなと思ってた」兄のくにおさんが慢性虚血性心疾患で急逝
酒井とおるさん(漫才コンビ「酒井くにお・とおる」/72歳)
「とおるちゃん!」「ここで笑わんと笑うとこないよ」などのギャグで人気だった兄弟漫才コンビ「酒井くにお・とおる」。昨年10月、兄のくにおさんが慢性虚血性心疾患で急逝し、多くのファンを悲しませた。残された弟のとおるさんは今、どうしているのか。
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「アニキが亡くなって5カ月ですね(インタビューは4月)。ええ、だいぶん落ち着きました。亡くなる5年前に腰の手術をした後、肺炎とかで3回救急車で運ばれたんですよ。ほかにも泌尿器科、皮膚科、脳外科とか5つも病院にかかってましたから、いつどうなってもおかしくない、と覚悟はしてました。でも、最後は弟孝行というか。いつも『ごめんな』と言うてたから、面倒かけないようポックリ逝きましたねぇ」
大阪市内の所属事務所で会ったとおるさん、しみじみとこう言った。
「亡くなる4年ぐらい前に、自宅で倒れ誰にも連絡できず、2日間倒れたままやったことがあったんです。アニキは若い頃に1回結婚したんですけど4年ぐらいで別れて、子どももおらんでひとりやったからね。それで、毎朝9時半に、アニキからこっちへ電話してもらって、安否確認しとったんです。ところが、アタシの長男の東京での結婚式に行った翌々日、電話がなく、こっちから5、6回かけても出えへん。心配になって、電車で40分かけてアニキの家に行ったら、ソファの下の床に、横向きに眠るように倒れていました。呼びかけても反応がなく、『とうとう、このときが来たか』と……。きれいな姿でズボンも、カーディガンも、靴下もキチンと身につけとったから、どこかに出かけてたんやないかと思うんです」
とおるさん、寂しそうだ。これからの活動はどうするのか。
「くにおの追悼公演では、10分ぐらい漫談をやらせてもらいましたが、52年間、せっかくアニキと作り上げたから、アニキ以外の人とはようしません。だから、亡くなった時点では、『もう引退やな』と思ってたんです」
え、引退!? もったいないのではないか。
「そう、会社(事務所)からも『1人でやれる仕事をやったらどうですか』と言われて、ボチボチお仕事させていただいています。アタシは15、16年前に胃潰瘍をやった後は、元気。この3月、千鳥の『相席食堂』のロケで神戸に行ったのが、再スタートになりました。劇場で漫談もやって、4月末にはNHKラジオ第1の『上方演芸会』で新作漫談も。いただいた仕事は一生懸命にやらせてもらいます。でも、会社員で言うたら、とっくに定年を過ぎてる年齢。これからは人生のおまけみたいな気持ちで、気楽にいこうと思ってます」
オフの日は、野球観戦やフォークギターの演奏が楽しみなのだという。
「これでも、高校までは野球部で、30代半ばまでは芸人の野球チームに入ってキャッチャーやってました(笑)。ギターは50~60曲は弾けますよ」
大阪市内で、2歳年下の夫人と、40歳の長女と3人暮らし。
「27歳のとき、楽屋へ出入りしていたカツラ屋の娘と結婚し、1男1女に恵まれました。長女は保育士。38歳の長男は東京で、障害者の作業所の所長をしながら、ライブハウスでギターを弾いとります。小さい頃、長女は脳腫瘍、長男は川崎病や結核を患って、大変な闘病生活でした。だから、2人とも、とにかく元気でいてくれたらハッピーや、と嫁サンといつも言うてます」