好きなロックバンドを持たなかった自分の青春は、日暮泰文の死でようやく終わった。そんな気がする。
青春はいつ終わるのか。
それを「好きなバンドが解散すること」と定義したのは、たしか小説家の樋口毅宏さんである。
いつだったか酒場でこの話題になり、居合わせた連中全員がひとりひとり「解散した好きなバンド」の名を挙げることになった。特に指定したわけでもないのに、挙がるのは日本のロックバンドばかり。あ、オアシスと言った人もひとりいたっけ。青春を仮託するほど思い入れのあるロックバンドを持たぬぼくは、早くこの話題が終わるようにと密かに念を送るも力およばず。ついに自分の番となり、腹を括って「トニー・トニー・トニー」と米国の黒人R&Bバンドを挙げたのだが……しーん。予想通りのしらけた空気が流れる。やっぱりなぁ。早く終わってほしい話題を終わらせたのは、皮肉にも自分自身だったという笑い話。
そう。ある世代以上の日本人にとって、ブラックミュージックはお呼びでない場面は珍しくない。マーケットシェア1%以下と言われるブルースとなるとなおさらだ。そんな「ブルース」を社名にいただく会社「ブルース・インターアクションズ(現Pヴァイン)」を高地明さんと共に立ち上げた日暮泰文さんが、5月30日に亡くなった。享年75。独自の視点と圧倒的な修辞力を備えた音楽評論家としても多くの著作を残した。
日本最大のカタログ数を誇るインディペンデントレーベルに成長したPヴァインの歩みは、そのままこの国における黒人音楽の受容史だ。同社の公式HPによれば沿革は以下の通り。1975年、ミニコミ誌『ザ・ブルース』の商業雑誌化を目的とし、有限会社ブルース・インターアクションズを東京都世田谷区に設立。76年、外国レコード会社と原盤契約のもとにLPを発売する独立レーベル「Pヴァイン」を設立。ブルースをはじめとしたブラックミュージックのリリースを展開し、後続インディーレーベルの草分け的存在に。79年、外国アーティストの招聘業務開始。またこの頃から、アメリカに留まらずカリブ、アフリカ地域のポピュラー音楽も販売して「ワールドミュージック」ブームの先取りをしてきた。邦楽にも進出し、キングギドラ、そしてクレイジーケンバンドで破格の成功を収める……こんな具合。2007年にはスペースシャワーネットワークの完全連結子会社となり、創業者の日暮・高地両氏は退任。〈日本ブルース人生双六〉があるとすれば、大きな創業者利益を手にしたであろう両氏はその上がりの姿かもしれない。