西山麗さんは大動脈弁狭窄・閉鎖不全症 14歳で最初の手術
ところが、その生体弁が18年目を迎えた今年、いよいよ寿命がきたのです。正直、“このタイミングで、なんで?”と思いました。折しもリーグ戦の開幕戦が終わったばかり。これまで以上に地道に取り組み、やっとつかんだ試合のチャンス。しかも、今の会社にコーチ兼選手として呼んでもらった1年目での戦線離脱です。ショックでした。
さらに、手術は前回よりはるかにキツかった。生体弁への置換は1度しかできないとのことで、今回は人工弁への置換でした。痛みと吐き気が想像以上で、痛みに強いと自負していた私が、ICU(集中治療室)で「誰か助けて!」と言っちゃったほど(笑い)。
さらに苦しかったのは心の方でした。人工弁になると血液をサラサラにする薬が必須。つまり、ケガをすると血が止まりにくいということです。競技を続けるには、あまりにリスクが大きいのです。
体もしんどくて、どうすれば前向きな考えになれるのか分からなくなって、“ソフトボールができない自分が生きていていいのか……”ということまで考えました。ついにはソフトボールをやめようと思ったんです。母親にも「もうダメだな、諦める」と泣く泣く告げました。