(20)お客の話を聞いてあげるのも、ドライバーの仕事のうち
ある日のこと。高齢の女性が手を上げているのを見つけてクルマを止めた。いつもの街を流していたのだが、なかなかお客に巡り合えず「どうしたものか。場所を変えるか」と考えていたときだっただけに「ラッキー」と思わず頬がゆるんだ。
「運転手さん、聞いてよ」
その女性、クルマに乗り込むや否や、元気な声で私に話しかけてきた。勤めている会社の規定では、行き先の確認以外では原則として会話は慎むことになっているが、それはドライバーから話しかける場合のみで、お客から話しかけられたときは別だ。私は「どうなさいましたか」と応じた。すると「待っていました」とばかりに彼女が話しはじめた。
「うちの宿六がね、どうしようもないのよ」
この“宿六”という言葉、若い世代には馴染みのない言葉だろう。“宿”とは“家”とか“夫”という意味で“六”は“ろくでなし”のこと。つまり、妻がダメな夫を蔑んで指す言葉だ。お客はとにかく元気で、明るい女性。昼下がり、長く空車でクルマを走らせた私だったが、ちょうどいくらか眠気が襲ってきそうなときだったので、眠気覚ましにはうってつけのお客だった。