レベルが高すぎる…J入団テストで挫折感に打ちひしがれた
ブラジルでプロになる夢を諦めて1999年に帰国。次なる挑戦はJリーガーだった。ジーコの実兄エドゥーが監督を務めていたJSSC(ジャパン・スポーツ・サイエンス・カレッジ)の選手兼コーチ兼通訳として働きながらチャンスをうかがった。
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スカウトの目に留まらない選手がJの道を踏み出すには、入団テストに合格しなければいけない。だが、当時は情報網もなく、ツテをたどってようやく見つけたのがサガン鳥栖だった。
「ブラジルでプロ契約寸前まで行ったんだから、Jリーガーにはなれるだろうと軽く考えていました。でも、4~5日の練習参加で周りのレベルの高さに驚き、体が固まってしまった。全くダメでした」
不合格という現実を突きつけられ、次はブラジルで知り合った元日本代表DF三都主アレサンドロの紹介で清水エスパルスに向かった。テレビで見たことのある有名選手と同じユニホームを着て試合に挑むことに緊張し、またもイップスに陥ってしまう。
「相手は青森山田高校だったと思うんですが、完全にビビってしまい、記憶も曖昧。30分×3本の1本目は消極的になってしまったけど、2本目からはもっとやれると思っていた。すると『もういいから』と(苦笑い)。情けない自分の姿と芝の泥臭いにおいだけがかすかに頭に残っています」