レベルが高すぎる…J入団テストで挫折感に打ちひしがれた
この時点でJリーガーになるチャンスはついえた。挫折感に打ちひしがれながら、エドゥーが三重県松阪市につくったCFE(エドゥー・サッカー・センター)で2年間プレー。天皇杯にも出場したが「プロはもう諦めるしかない」というネガティブな思いに支配された。
「僕はサッカーをやめる理由を探すようになっていました。『これ以上は苦しみたくない。サッカーを嫌いになったことにしよう』と自らに言い聞かせていたんです。だけど人間は一つの物事をやり切らなければ次には進めない。その作業をしないまま、中途半端な形でJリーガーを諦めたのが最大の失敗でした」
■03年に通訳転身
03年に大宮アルディージャの通訳に転身。Jリーグで活躍したバレーやトニーニョといったブラジル人選手を支える側に回ったが、不完全燃焼感を抱えた状態のまま。Jクラブで働く得難さも感じられず、どこかむなしさが抜け切らなかった。 =つづく
(取材・構成=サッカージャーナリスト・元川悦子)