長期低迷の中、試合そっちのけでゲームに興じる若手を一喝
心機一転、千葉への本拠地移転で臨んだ1992年シーズンは、開幕前の右足首捻挫によって成績を大きく落とした。翌93年は規定打席に到達したものの、以降は、出場機会が減っていった。年齢も30代半ばに差し掛かり、若手が使われることが増えていった。
94年の開幕戦は、85年以降、ケガで離脱していた89年を除いて守り続けた開幕スタメンから外れた。出る気満々で準備をしていたのだが、首脳陣から何も言われることなくベンチスタートとなり、さすがにテンションが落ちた。何で前もって言ってくれないんだと、憤懣やるかたなかった。
今思えば、92年にじっくりとリハビリをしていれば、もう少しレギュラーとして試合に出続けることができたかもしれない。ただ、自分としては何より、試合を休みたくなかった。若い頃は「出ろ」と言われればノーとは言えない時代だったし、あるコーチからこう言われたことが頭に染みついていた。
「おまえが休んでいる間にポンと入った選手が活躍したら、レギュラーを取られるぞ」
だから骨折をしようが捻挫をしようが、休まず試合に出続けることにこだわっていた。高熱くらいなら少し我慢して、寝ている間に汗をタップリかけば、翌日にはすっかり治った。