長期低迷の中、試合そっちのけでゲームに興じる若手を一喝
しかも、チームの低迷は長期化していた。選手会長を任され、90年オフには外国人選手を除いてチーム一の高給取りにもなった。先輩たちから教わってきたように、自分の行動を見て、後輩たちがいい方向に向いてくれたらという思いもあった。
しかし、チームは92年6位、93年5位と一向に成績が上がらず、94年も最下位争いが続いた。8月2日に八木沢荘六監督が途中休養となり、ヘッドコーチだった中西太さんが監督代行となるなど、浮上の兆しは見えなかった。低迷が続く中、選手のタガも緩んでいた。
ある試合でのことだ。
イニング間にロッカーへ行った際、先発してKOされた若手投手が、その日は「上がり」だった若手投手と試合そっちのけで「バックギャモン」というボードゲームに興じていたのだ。
「コラ! おまえが打たれて野手は必死に点を取り返そうとしているんだ! すぐにベンチへ行って応援せえ!」
試合中にもかかわらず、堂々とゲームをしている意識の低さに唖然とした私は、その場で怒鳴りつけた。他の選手も気づいていたはずだったが、見て見ぬふりをしていたのかもしれない。