「名も無い街は 空想と共に」日下明著
「名も無い街は 空想と共に」日下明著
湖だろうか、静かな水面に浮かぶボートの上で、こちらに背を向けた男が、2本の棒を操り巨大なシャボン玉を作り出すと、星がきらめき、三日月が輝く夜空に街の夜景がシルエットで浮かび上がる。
ページを開いて最初に目にするこの作品で、読者をたちまち別世界へと連れて行ってくれるイラスト作品集。
そここそが、シャボン玉の膨らんでいる時間だけ存在する「名も無い街」なのだろうか。説明がないので臆測でしかないが、その街のあちらこちらで起きているであろうその瞬間を、作品に仕立てたと思われる幻想的な光景が繰り広げられる。
「月」と題された巻頭の章の「降り注ぐ未知」というタイトルの作品では黒ずくめの男が、屋根裏部屋の天窓から見える夜空を、天体望遠鏡──ではなくトランペットでのぞき込んでいる。
次ページの「I'm on cloud nine」では同じ人物と思われる男が、手にした三日月を守るように雨宿りをしている。しかし、彼の頭上に雨雲が垂れ込めているので、どこに行っても雨から逃れられそうにない。
さらにページが進み、「この街の灯り」という作品では、三日月を手にした男は街灯の中にすっぽりと収まるミニサイズとなり、ベンチに座って三日月の明かりで街を照らしているという具合だ。
この3枚の作品を目にしただけでも、ここはどのような街なのだろうかと、さまざまな想像が湧きあがり、読者はそれぞれの物語を紡ぎ出し始めることだろう。
続く「道」の章の「止まらないコンパス」という作品は、それまでとは一転して明るい画調で、砂漠を思わせる乾燥した大地の上で線路が交差。どちらも線路は砂にのみ込まれるように途中で消え、周囲の塔のような大小の建物の上では、青と赤に塗り分けられた方位磁針がぐるぐると回り、見る者の心を戸惑わせ、不穏にさせる。
かと思えば、次の「姿」の章には、病院の一角だろうか、ベンチに女性と腕を三角巾で保護したシロクマが並んで座っていたり、水底の椅子に座った潜水士が隣に座る人魚に本を読み聞かせている「湖底の本読み」などファンタジー色がより濃い作品もある。
どの作品からも物語性とともに、どこからともなくBGMが聞こえてきそうな音楽性を感じる。それもそのはず、音楽活動もする著者は絵と音と言葉のユニット「repair」としても活動(トロンボーン担当だと知り、冒頭の天体望遠鏡の件も納得)。
個人、そしてrepairの活動に共通するコンセプトは「相反する世界」だと著者は言う。
「開放的で閉鎖的、優しいけど怖い、美しさの中に物悲しさがある」というように、異なる世界の同居、相反する世界を表現するモチーフのひとつが月だという。その言葉通り、冒頭に登場する月は別の章でもさまざまな場面で登場。相反する世界の中心に放り込まれた読者を不思議な読後感に導く作品集だ。
(芸術新聞社 2750円)