「失われた日本の風景」写真/薗部澄 文/神崎宣武
「失われた日本の風景」写真/薗部澄 文/神崎宣武
十年一昔などとよく言われるが、時代はそれ以上のスピードで変化を続ける現代。60年、70年前といえば、若い人には、もう想像すらできぬほどの大昔に感じられることだろう。
本書は、昭和20~40年代の日本各地の人々の暮らしぶりを撮影した記録写真集。
ページを開くと、昭和28年末に東京都港区の飯倉片町で撮影された写真が登場する。
終戦から8年後だが、焼け野原の片りんこそないものの、人や自転車が行き交う住宅街の道路は砂利が目立つ未舗装で、家は木造、道路とその敷地を隔てる塀は竹垣だ。別の場所で撮られた写真では、モンペをはいた女性が井戸端でたらいを使って洗濯をしている。
写真からは、ピカピカのビルや大国の大使館が並び、その向こうには美しい東京タワーが見える、現在の姿は想像すらできない。
ほかにも、銀座の通りでめんこ遊びに興じる下駄を履いた大勢の子どもたち(昭和22年)や、新宿の繁華街の一角に集められたくみ取り式便所から回収してきたと思われる汚物を入れたおびただしい数の「肥桶」(昭和26年)など。
現代人には信じられないような風景だが、これらは確かに今この紙面を読んでいるあなたの両親や、祖父母が生きた時代の風景なのだ。
そう思うと別世界のように見えた世界も、なんだか親しみを感じられるのではなかろうか。
東京駅の通勤ラッシュ(昭和27年)は現代とそう変わらないが、混雑した駅のホームにはたばこの煙が流れ、カジュアルな装いの男性は誰もおらず、全員がスーツ姿で、その多くが中折れ帽をかぶっている。出勤時刻の駅に女性の姿がほとんどいないのも今では信じられないことだ。
モータリゼーションや、マイカーブームが到来する以前の道路は、人の姿は目立つが車などはあまり走っておらず、のどかささえ感じられる。
昭和30年、大宮駅近くの踏切を撮影した写真では、多くの人は自転車で移動をしており、車といえば荷物を運ぶ三輪トラックしかない。
東京やその近郊だけでなく、地方で撮影された写真も多数収録。
農作業や地方色豊かな手仕事などの写真に交じって、町の共同の洗濯場に集まって洗濯に汗を流す女性たち(山形県温海町小岩川=昭和29年)を写した写真には、バケツをてんびん棒で担いで水を運ぶ女性の姿なども写っている。
また、昭和40年に滋賀県の湖北町で撮影された写真では、女性が川の水で収穫した白菜や大根を洗っている。引き車にざるや鍋の蓋などの雑貨をぎっしりと詰め込んで売り歩く「移動販売」(神奈川県津久井町=昭和30年)の写真などもある。
両親や祖父母とページを開けば、きっと今まで聞いたこともない昔話を聞き出すことができるかも。
(河出書房新社 3190円)