「レディス4」サブ司会 小林節子さんは長野県原村に定住決意
「ですから、私は別に東京にマンションを借りて、平日はそこからテレビ東京に通い、土・日は原村で両親の面倒をみる、という生活でした。私が東京にいる間は、友人たちが入れ替わりで両親の世話をしてくれたんです。両親? 母親は06年に家の中で転倒して大腿骨を骨折し、3カ月の入院生活で認知症が進行してしまい、やむなく横浜の特別養護老人ホームに預けてたんですが、去年3月、99歳で旅立ちました」
「母が亡くなる10日前、私、『徹子の部屋』に出させていただいたんです。それを知った母は、“節子に化粧するように伝えてくれ”と施設の方にお願いし、放送当日は食い入るように番組を見て、“えらい”とか“よくやった”とかいってたそうです。その5日後に脳梗塞になり、それから5日後に……。父は08年、100歳で老衰で亡くなりました」
00年には住まいの隣に「輪の舎・リングリンクホール」なる施設をつくり、週末、講演会や音楽会を開いている。
「これまで、永六輔さん、下重暁子さん、松島トモ子さん、佐高信さん、小室等さんなど、いろいろな方にご協力していただいてます」