野球へ導いてくれた…金石昭人語る伯父・金田正一への恩義
ただ、当時住んでた岐阜の田舎は、スポーツ少年団もなかった。小学生の頃は草野球をやったことがあるぐらい。
それが伯父さんの鶴の一声で「野球をやらなきゃいけないんだ」みたいな使命感が生まれ、中学で野球部に入り、3年の卒業間際に伯父さんの口利きでPL学園に転校。寮に入り、高校の野球部の練習に参加するようになりました。
当時のPLは、甲子園の常連になりつつあった頃。野球部にいるのはセレクションで選ばれた18人だけ。
ボクはそれとは別枠で入ったから、居心地が悪かった。カネヤンの甥っ子ってことで特別視されるし、ほかの部員は全国大会で優勝したとか、すでに知られたバッターとかでしたから。ボクは背は高かったけど痩せていて、すぐに貧血を起こして入院したりして。練習についていくだけで大変で、野球をやめたいと思ったこともありました。でも、伯父さんの顔に泥を塗れない、と頑張りました。
■広島オーナーに「口利き」
PL学園はボクが3年の夏に初優勝。エースピッチャーはほかにいたから、甲子園では投げていません。それでも卒業後、ドラフト外で広島に入団できたのも伯父さんのおかげ。ちょうどその時、金田家の末っ子・留広叔父さんがロッテから広島にトレードされたんです。それで正一伯父さんが、「甥っ子がおるから将来性を見込んで一緒に取ってくれ」と広島のオーナーに頼んでくれたんです。