鈴木慶一さんがプロデュースしたアルバム「マラッカ」の衝撃
ミュージシャンの鈴木慶一さんとは、「1971年」という共通キーワードがある。高校を卒業した翌71年に「はちみつぱい」を結成した慶一さんは、日本語ロックの先駆者となった。学生運動で複数回逮捕されたこともあって就職も難しく、失業保険で食いつないでいた26歳のわたしは、借金した金(120万円)で71年3月、京王線・千歳烏山駅にジャズスナック「ロフト」をオープン。日本のロックの隆盛に合わせるように、西荻窪、荻窪、下北沢、新宿にライブハウスを次々に立ち上げた。慶一さんには「約半世紀の付き合いの長さ以上の思い入れ」がある、日本一バランスが良くて本当に安心して聴ける素晴らしいロックバンドだった――。
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平野 慶一さんはすべてのロフトでライブをやった。73年7月の西荻窪店のオープン6日目、74年11月の荻窪店オープン6日目、下北沢店がオープンした75年12月には、新たに結成した「ムーンライダーズ」名義で元YMOの細野晴臣さんとステージに立っている。
「75年に始めたムーンライダーズは、荻窪店に出演するたびに、よくお客が入るようになりました。最初は数えられるくらいのお客さんだったけど。満員の中、酸欠状態で演奏してましたね。新宿ロフトの最多動員を記録したこともあります。やはりロフトには馴染みがありますね」