赤塚不二夫さん<2>「バカボンのパパ」姿の赤塚不二夫さんは自分でブランコ座ってこぎ出したの
こうやって自分が撮った写真を見ると、忘れていたことも思い出すね。写真を撮ったときのことをさ、思い出すよ。
赤塚さんがバカボンのパパの格好をしているこの写真を撮ったとき、20年ぶりかなぁ、久しぶりに会ったんだよね(雑誌『PENTHOUSE』<世紀末アラーキー写交録A対談 赤塚不二夫VS荒木経惟>1999年2月号掲載)。
“命短し恋せよ乙女”って歌いながらこいでるんだよ
赤塚さん、感度がいいっていうか、これ撮るときに、近所を一緒に散歩しようって、この格好で歩いたの。途中でブランコがある公園があったので、オレはさ、これはアレしかないって思ったんだよ。赤塚さん、いつも話してくれるのはね、ジョン・フォードの『駅馬車』ばっかりなんだよ。馬の走り方がすごいとか、馬の動きがいいとかなんとか。映画の話はそればっかりなんだけどね。
このときね、ちょっとアレやって欲しいなって思ったんだよ。『生きる』だよね。(映画)『生きる』のブランコ。そしたら、赤塚さん、オレが撮りたいって言う前に、自分でブランコ座ってこぎ出したの。おっ、オレが思っているのとあってるなって。そんでね、さえずるっていうか歌うというか、“命短し、恋せよ乙女”って歌いながら、こいでるんだよ。だから、たまらないよ。やっぱりね、あの人はたいした人だよ。
自分の紫綬褒章を出して「オマエがもらってくれ」って
赤塚さん、病院を出たり入ったりしててね。退院すると、すぐ隠れて飲んでんだよ。「また怒られますよ」って言うと、水で割ってるから大丈夫なんだよって(赤塚は大の酒好きとして知られ、1998年の食道ガンの手術後も酒を手放すことがなかった)。
オレはオーストリアから勲章をもらったけど、それより前に、最初にオレに勲章をくれたのは赤塚さんなんだよ。自分の紫綬褒章を出して、「オマエがもらってくれ」って握らされてね。帰るときに奥さんに返したよ(2008年9月、オーストリア国最高位の「科学・芸術勲章」が荒木に贈られた。その前月の8月2日、2002年より脳内出血のため闘病生活を送っていた赤塚不二夫が72歳で永眠)。
(構成=内田真由美)