赤塚不二夫<前編>「モテるけど…タモリにはかなわない」
天才バカボンの物語で、消火後の火災現場にバカボンのパパがやってきて家族がさめざめと泣いている中「君たち、それでトイレも焼けたのか?」。母親が「はい」と答えると、「これが、本当のヤケクソなのだ」と去って行く場面があった。
「喜劇と悲劇は背中合わせ」。最悪な事態を笑いにかえる術は今でも明石家さんまやビートたけしがやっているのだが、赤塚先生は当時から漫画でやっていた。少年マガジンの「悪役」五十嵐編集長が出てきて暴れたり、突然ページいっぱいにパパが指をさし読者に話しかけるカットがあったり。面白いながらもシュールな実験がなされ、あたかもゴダールやトリュフォーのフランス映画の「ヌーベルバーグ」漫画版のようでもあった。
僕が初めて赤塚先生に会ったのは30年ほど前。確か中落合の二階屋だったと思う。先輩のディレクターに連れて行かれたのだが、そこには漫画編集者、映画関係者、芸人の卵、テレビ関係者、構成作家、ライター、その他えたいの知れない人たちが、麻雀、将棋、囲碁、ゲーム等をテンデンバラバラにやっていた。有名になっていた赤塚一家出身のタモリさんと所ジョージさんはすでにいなかった。僕が先輩とカップ酒を飲みながら「人生ゲーム」をやっていると、いつの間にか緑茶ハイを手に持った赤塚先生がゲームを見ている。15分ほど経っただろうか……先生が、「おもしろいね~」としみじみ言う。そのうち去って行くのかと思うとそうでもない。