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荒木経惟写真家

1940年、東京生まれ。千葉大工学部卒。電通を経て、72年にフリーの写真家となる。国内外で多数の個展を開催。2008年、オーストリア政府から最高位の「科学・芸術勲章」を叙勲。写真集・著作は550冊以上。近著に傘寿記念の書籍「荒木経惟、写真に生きる。荒木経惟、写真に生きる。 (撮影・野村佐紀子)

<77>「シャッターを切るときに目を閉じろ」忘れられないフランクの言葉

公開日: 更新日:

ロバート・フランク(1)

 この写真は、ロバート・フランクと初めて会ったときに撮ったんだよね。ロバート・フランクは、オレが世界で一番好きな写真家なんだよ。最初に会ったのは、30年ぐらい前の夏だったね(1989年8月)。ロバート・フランクが東京に来ていて、荒木に会いたいと言ってると連絡をもらったんだ。

 会ったときに、「アラキ、ナンバーワン!」と言って握手してくれてね。嬉しかったね~。新宿ですき焼きを食べて、「DUG」(ジャズ喫茶)に行って、ゴールデン街に行ったんだ。その後、六本木にも行ってカラオケやって、大騒ぎしたんだよね。(ロバート・フランクは1924年にスイスのチューリッヒに生まれ、写真家を志して23歳で渡米。55~56年にグッゲンハイム財団の奨学金を得て全米を旅しながら撮影した写真による『The Americans』を出版。多くの写真集を刊行、展覧会を開催、映画も制作。写真界の巨匠と称され、幅広い世代に支持される。2019年9月、94歳で死去)。

自分の直感と欲望で写真を撮る

 その次にフランクに会ったのは、「写真新世紀」の審査員として来日したときだね(1994年)。オレは最初からずっと審査員やっててね。フランクはゲスト審査員として招かれたんだ。(「写真新世紀」は1991年にスタートしたキヤノン主催の新人写真家の発掘・育成・支援を目的とした公募コンテスト。若手写真家の登竜門で多くの写真家を輩出。荒木は第1回から2009年の第32回まで審査員を務めた)。

「写真新世紀」は公開審査っていうのがあるんだけど、フランクは「まずシャッターを切るときに目を閉じろ」って言ったんだ。まず目を閉じて、自分の心の声を聴いて、自分の直感と欲望で写真を撮るんだと。もがきながら、撮って撮って、撮り続けろってね。そうすると見えてくる。自分の進むべき道とか、どんな作品を作ればいいかっていうのがね。そのときのフランクの言葉は忘れられないね。

嬉しかった!「ARAKI NUMBER ONE」のメッセージ

 フランクから写真をもらったんだよ。「ARAKI NUMBER ONE」って、メッセージが書いてあるんだ。もう、嬉しくてね。それをTシャツにして着てたね。

(構成=内田真由美)

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