ラジオ=疲れる?「いろいろ想像しないといけなくて、しんどいんです」
同志社女子大学で教壇に立つ影山貴彦氏が、学生たちとのやりとりから見えてきた「当世メディア論」を語る。
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研究室にやってきた学生が、「先生が以前ラジオの魅力について話されていたので、私も最近ラジオを聴き始めました。でもなんだか疲れるんです」と、教えてくれました。放送マン時代は、テレビ・ラジオ両方の番組に携わってきた私。ラジオでは「MBSヤングタウン」や「ありがとう浜村淳です」などのプロデューサー、ディレクターを務めてきました。テレビ・ラジオどちらも好きですが、もし2つのうちひとつを選べと言われたら、ラジオを選ぶことでしょう。聴く人に寄り添う優しさが、たまらなく大好きなのです。
それにしても、「疲れる」という言葉が引っ掛かりました。人を温かく包んでくれるはずのラジオを聴いて、どうして疲れるんだろう? と思い、その理由を聞いてみたのです。
「声だけなので、いろいろ想像しないといけなくて、しんどいんです」と、少し頬を赤らめながら話す彼女。正直、驚きでした。ラジオの大きな魅力といって間違いのない“想像力を働かせる”ことが苦痛というわけです。確かに言われてみれば、ラジオは映像がない分、不自由なメディアかもしれません。けれど逆にいえば、いろいろな制約から自由に解き放つことができます。それが本来はとても楽しいはずなのですが。