高橋幸宏さん逝去 われらが世代のヒーローだったことを痛感する
スタジオジブリ発行の小冊子『熱風』をご存じだろうか。その最新号(1月号)で、ぼくはジャーナリスト青木理の連載対談「日本人と戦後70年」に招かれた。ぼくより一学年上の青木さんは、対談が始まるや自分がポップミュージックに疎いことを告白。ふたりの接点を見出すのは困難かと思われたが、意外や共通の原体験はあっさり見つかった。
それはふたつあった。本多勝一の著作と、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の音楽。ただ「本多勝一世代」と呼ばれると、今ぼくは正直いささかの抵抗を覚える。一方「YMO世代」という呼び名には、青木さんもぼくも否定する理由がない。まるで毛細血管のように人生の微細な場所にまで入り込むのが、ポップミュージックのレゾンデートル。あるいはこれが同世代ということか。
『熱風』が発行された翌日の1月11日、YMOのドラマー高橋幸宏さんが逝去された。享年70。同じ音楽業界にいても個人的な付き合いはまったくなかったが、喪失感は日ごと大きくなるばかり。われらが世代のヒーローだったことを痛感している。
ユキヒロさん(と普段通り呼ばせていただく)はいくつかのバンドやユニット、またソロ活動でも知られたが、名声を決定づけたのはやはり細野晴臣、坂本龍一とのYMOだろう。1980年、米国の人気テレビ番組『ソウルトレイン』に日本人として初出演したYMOが披露した「タイトゥン・アップ」に顕著だが、彼のドラムと細野さんのベースが生みだす強力なグルーブは、この国のポップミュージックのひとつの頂点だった。90年代、当時NHK-BSで放映していた同番組に関わっていたぼくは、LAでの収録に何回か足を運んだ。スタジオで現地の古参スタッフから「YMOは今どうしてる?」と訊かれるたび、どこか誇らしく感じたものだ。