負けん気と強靭な精神力で走り続け 太川陽介が切り開いた「ガチ」路線
高校2年生の頃、桜田淳子主演の映画「スプーン一杯の幸せ」の相手役オーディションに応募したが、締め切りが過ぎており選外に。そんな応募者が複数いたため、落選者を含め敗者復活戦をすることになった。そのとき、サンミュージックの創業者・相澤秀禎が「10年に1人の逸材」と感じ、スカウトすることになったのだ。
しかし、太川の父は丹後ちりめんの卸販売会社の社長。息子に会社を継がせようと思っていたため、芸能界入りには反対だった。事務所の人が実家に着いたのは、太川がまだ学校にいる時間帯。両親はすぐに「お帰りください」と電車の切符を渡した。そのとき、太川が息を切らしながら帰ってきた。
「お父さんが勝手に断るんじゃないかと胸騒ぎがして走って戻ってきた」(朝日新聞出版「週刊朝日」2016年8月19日号)と。
1977年からは「レッツゴーヤング」(NHK)に、番組内ユニット「サンデーズ」の一員や司会者として約9年間出演し、番組の顔となった。その後は、俳優業にシフトチェンジするが、次第に活躍の場は舞台が中心となっていった。そうした中で突然、バス旅のオファーが届いたのだ。