心臓手術には「勇気ある撤退」を決断する場合もある
開胸してみると、予想通り癒着が非常に強い状態でした。慎重に癒着剥離を進めたのですが、もろくなっていた大動脈が裂けてしまい、かなりの出血を招いてしまったのです。すぐに止血と大動脈の修復を行いながら、人工心肺装置につなぎました。これで、どうにか心臓を止めながら手術を進めることができます。
再び癒着剥離を開始しました。しかし、進めば進むほど癒着がひどくなり、ある部分からまったく進めなくなってしまったのです。さらに、その患者さんは心臓が拡大していたため、術野が非常に狭い状況でした。僧帽弁は見えるものの、なかなか手が届かない。
これでは、僧帽弁を切り取ることはできても、人工弁を縫い付けることができるかどうかはわかりません。当時は、そうした状況に対応する手術道具が揃っていませんでした。
なんとか僧帽弁には手が届きましたが、やはり交換は難しい状況です。これ以上、弁交換の手術を進めたら、この場で命を失いかねない、そう判断しました。
悪化していた三尖弁はすでに処置してあり、血液の逆流は改善しています。そこで、僧帽弁の交換はストップして、狭窄している部分を再び切開する方法に変更しました。これは、弁を交換する方法よりも古い術式でしたが、そのときに自分ができる最善策でした。たとえ古い術式でも、自分の技術の内側にあって、心臓手術の“教科書”にきちんと書かれている方法を選択したのです。