迷惑をかけるから安楽死を──それではあまりに悲惨過ぎる
だからこそ、介護施設などを充実させ、社会が面倒をみる、生きていくのに迷惑をかけてもいい社会……そのような環境にしなければならないと思います。生きていていいんだよ。そして、生きていくために迷惑をかけてもいいんだよ……。みんなが「安心して生きていられる」と思える社会です。日本は超高齢社会なのに、自分のことは自分でどうぞといった「自助」と言われる社会はおかしいのです。
家族に迷惑をかける、だから安楽死を考える。それではあまりに悲惨すぎます。安楽死は人を殺すことです。ですから、安楽死について議論することもない、安楽死なんていう言葉もない――そういう世の中になって欲しいと思います。「何を理想ばかり言っているのか」と言われそうですが、それでも、そう思っています。
家族など周囲の人と相談して、自分の最期の希望を話しておくこと(人生会議)も必要かもしれません。しかし、本当に死期がすぐそこに迫った時には、思いが違ってくる、「生きたい」という気持ちが湧いてくる患者さんを私はたくさん見てきました。人は生き物、生物ですから、それも当たり前でしょう。