(18)ただ話を聞いてくれる人がいるということが大きな支えになった
母の突然の認知症の診断、コロナ禍で接触できず叔母たちに頼るしかない状況、「なぜ入院させたのだ」と怒り狂う父。父自身もその頃はかなり体調が悪かった。それなのに、病院に行くこともヘルパーを頼ることもかたくなに拒否し続けた。
実家に残された4匹の猫たちがきちんと世話されているのかも気掛かりだったが、母の入院をめぐって口論になるので私は次第に父に連絡するのを避けるようになった。
猛暑の中、東京と熊本を何度も行き来し、さまざまな連絡や手配を続けたことが東京での仕事のスケジュールや生活を狂わせ、余裕を奪い、私自身が疲弊していった。頭がぼんやりして体が重く、気力が湧かない。ついには自分の心の調子がおかしくなっていたようだ。当時の記録を見ると「私、なんで生きてるんだろう状態でヤバい」と書いている。
この間、一連の出来事を幾人かの友人に聞いてもらっていた。しかし、あるグループメッセージでは、次第にまったく反応がなくなった。私の話が友人たちに負担をかけていたのだろう。後日ひとりと会う機会があり、聞いてみたところ、「暗くて重い話を聞きたくなかったから、あなたと会うのはやめようと皆で話し合った」とのことだった。仕方のないことだと思ったが、悲しい気持ちにもなった。