スポーツ用品メーカーの「ミズノ」が1936年に空を飛ぶグライダーを製造した理由
1月12日は「スキーの日」。1911(明治44)年に当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人レルヒ少佐が日本で初めてスキー指導したことにちなむ。この日を制定したミズノは国内で先駆けとなるスキー板を1923年に開発し、その4年後には発売にこぎつけている。また国産初となるゴルフクラブ「スターライン」を1933年に発売したのも同社で、その後もカーボンヘッドやチタンヘッドをミズノが初めてつくっている。
スポーツ用品メーカーのイメージが強いミズノだが、変わったところでは空を飛ぶグライダーの製造に関わっていたこともある。
「グライダーは1936年に創業30周年事業としてつくりました。1940年に滞空や高度の日本記録も樹立したとの記録が弊社の社史に残っています。幻に終わった1940年の東京五輪の開催が決定した頃で、グライダーが競技に含まれていたので製造を決めたということです」(ミズノ広報担当者)
実はミズノの登記上の名称は美津濃。これは創業者の水野利八の出身が岐阜県大垣市で、「美濃」の間に(琵琶湖の)港を意味する「津」を入れて命名したことに由来する。