慶応・清原勝児と「VIVANT」福澤克雄監督をつなぐ“幼稚舎出身”以外の共通点 「塾高」に多い留年者
福澤克雄氏は慶応大ラグビー部の日本選手権初優勝に大貢献
「塾高の場合、成績が悪かったり、出席日数が足りなかったら、平気で落第させるんです。近年はだいぶ減っているようですが、私が在学していた40数年前は学年に10人近くはいた。その大半は小学校最高峰とも称される幼稚舎の出身だった。育ちがよくて、のんびりしているヤツが多かったですから。中には2年続けて留年して"おっぽり"(おっ放り出す=退学)になる者もいた」(前出・文系教授)
幼稚舎~塾高というコースを歩んで、清原勝児選手と同じく1年の時、留年したのが福澤克雄氏だ。「半沢直樹」や「下町ロケット」、放送中の「VIVANT」を手がけ、今ドラマで最も視聴率がとれる演出家と評される。「彼の場合は幼稚舎時代から続けていたラグビーが原因。当時のラグビー部は猛練習で知られ、勉強するヒマなどなかった。落第する部員が続出していた」とラグビー部OBは話す。
オールドラグビーファンにとっては「福澤克雄」という名前よりも「山越克雄」のほうが馴染みがあるだろう。189センチ95キロの山越は慶応大ラグビー部でロックを務め、86年1月15日、トヨタ自動車を破り、日本選手権初優勝を果たしている。名字がなぜ変わったかといえば、両親が離婚し、母の姓を名乗るようになったからだ。母・和子さんは慶応の創設者・福澤諭吉のひ孫である。つまり克雄氏は、諭吉の玄孫(やしゃご)に当たる。
「克雄氏は慶応においていわばこれ以上ない血筋。その彼が落第した時は学内でちょっとした話題になりました。学校からすれば、そうした人物さえも特別扱いしないという姿勢が示せたわけです。そういう意味では有名人は狙われやすい。清原勝児君もスケープゴートにされた面はあると思う」(塾高元教師)
もし塾高が優勝すれば、1916年以来2度目。「新たな伝説をつくってほしい」(文系教授)との塾生たちの思いは天に届くだろうか。泣いても笑っても、決着がつくまであと数時間である。