ジャーナリスト田原総一朗さんが語る「食と健康」 90歳でもピンピン元気な秘訣と生活
世の中の価値観が180度変わる経験を2度…ジャーナリストを志す
食事と運動管理に信頼できる主治医、そして娘さんのサポート。これだけでも長寿の秘訣といえるが、「大の人間好き」も健康にとってプラスになっている。
「1日だいたい2回は取材や打ち合わせで人に会うね。先日は大阪からテレビ番組収録のため上京した浜村淳さんに会いたくなってスタジオまで出向いて、収録前に10分ぐらい話したよ。今度ラジオでお互いの戦争体験の話をしようよ! と盛り上がったんだ」
滋賀県彦根市出身。工場を経営する父親は戦争の影響で原料が手に入らなくなったため、工場を閉鎖。4人きょうだいの長男だった田原さんは中学生の頃から新聞配達などで家計を支えた。
ジャーナリストとなったきっかけは、世の中の価値観が百八十度変わるという経験を2回もしたからだ。
最初は終戦直後。田原さんは小学校5年生で終戦を迎えたが、それまで「これは正義の戦争だ」と言っていた教師たちが終戦後に「絶対にやってはいけない間違った戦争だった」と手のひらを返したこと。
さらに高校に入ると朝鮮戦争が起き、田原さんが「戦争反対」「平和が大事」と主張すると、高校の先生に「おまえはいつから共産主義者になったんだ」と怒られたことだ。当時、報道各社も「国を守るために戦争をしなければならない」と、また百八十度主張を変えたのだった。
「先生も、新聞、ラジオ、マスコミも信用できない。だから自分が疑問に思うことを直接ぶつけて、とにかく聞いて回りたいと思って、ジャーナリストを志望した」
そこには戦争を体験した最後の世代の役割としての自負もある。
また若手の活躍を支援したいという田原氏の思いが、若手ゲストとの対談スタイルで月1度の「田原カフェ」として実現している。
取材中、田原氏は何度も「娘に毎日怒られているんです」とうれしそうに語り、そして「娘たち3人が、とても仲がいいんですよ」と目を細めて呟く。テレビではデスクを叩きながら政治家ら権力者に対して怒りの感情をあらわにするが、家では娘さんに叱られている……。そこにあるのはジャーナリストの顔ではなく、どの家庭でも同じお父さんの表情だ。
愛情をもって叱ってくれる家族とのこれまでの歴史もこよなく愛している田原さん。それも長生きの大きな秘訣なのだ。
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俳優・黒沢年雄さん(80)が妻のモデル、街田リーヌ(76)さんへの思いをブログでつづり話題だ。リーヌさんは数年前から要介護だ。
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