広島・佐々岡真司が「無形の力」を爆発的に転化させた瞬間
同年のドラフト1位で広島カープへ入団、今や監督を務める佐々岡は、島根の浜田商業高から社会人入りした。前年のソウル五輪に出場した野茂英雄(新日鉄堺)や潮崎哲也(松下電器)のような全国区の投手というわけではなかったが、社会人野球でコツコツと努力を重ね、経験を積んで素質の花が開いた。私が監督を務めた同年5月のキューバ親善試合では、野茂、潮崎、与田と4本柱を形成した。
私自身、大分の田舎で生まれ育ったからよくわかるのだが、地方の人間が日本代表に選ばれ、中央の仲間入りをするのはとても喜ばしいことだ。自信になるし、技術の進歩を促すモチベーションになりうる。佐々岡は、そうした無形の力が、都市対抗という大舞台で爆発的に転化されたと思っている。
■代表投手に求めた「90マイル+サムシング」
私は佐々岡をはじめ、日本代表の投手を選考するにあたり、「90マイル(約145キロ)+サムシング」を併せ持っているかどうかを重視した。
今でこそ160キロを投げる投手がいるが、当時は140キロ後半でも速い球を投げるという認識があった。