バルセロナ最終選考会議で伊藤智仁代表入りを強く主張した
「三菱自動車京都に伊藤智仁(元ヤクルト、現楽天コーチ)という良い投手がいる」
1991年5月17日。私は関係者からこんな話を聞いて、社会人野球大阪大会が行われる日生球場(大阪市中央区=当時)へ向かった。
■大阪大会で一目惚れ
大阪ガスとの試合に先発した伊藤はリーチが長く、体全体をムチのようにしならせ、素晴らしいボールを投げた。
150キロに迫るストレートのキレはもちろん、高速で真横に鋭く滑るスライダーに目を見張った。私はその時点で何百人というアマチュアの投手を見てきたけれど、当時は伊藤のように130キロを超える速いスライダーを投げる投手はいなかった。これぞ本物のスライダーという印象を持った。
伊藤は京都の花園高校出身で甲子園出場の経験はなく、私自身、彼の名前を一度も聞いたことがなかった。しかしその投球を一目見て、来年、日本代表のメンバーに入ってくる力は十分にある、と判断した。