野村謙二郎は両親から野球のセンスと俊敏性を受け継いだ
1988年ソウル五輪の日本代表メンバーであり、私と同じ佐伯鶴城高(大分)出身である野村謙二郎(駒大、広島)は、まず彼の父である三郎さんとの縁から始まる。
佐伯鶴城OBで私の大先輩にあたる三郎さんは、高校時代は三塁手で、86~88年に広島カープで監督を務めた1学年下の阿南準郎さんと三遊間を組んでいた。佐伯鶴城で監督も務められた。佐伯市で野村三郎といえば知らない人がいないというくらい立派な野球人であり、私も度々、教えを請うている。
さらに謙二郎の母である洋子さんは中学、高校時代は陸上選手で、大分県下で高跳びでナンバーワンといわれた。謙二郎が走攻守に優れたのは、父から野球のセンス、母から俊敏性を受け継いだからだろう。洋子さんのお兄さんである八木孝さんは1960(昭和35)年ごろの明大のエースであり、卒業後に広島カープへ入団。謙二郎は広島との縁も深かった。
■大学、プロの節目に同じ中前打
私が初めて謙二郎を見たのは、彼が高校生の時だった。何かの用事で母校を訪ねた際、足が速くて守備もうまく、また打撃もいい遊撃手がいると聞いた。それが三郎さんの息子である謙二郎だった。