「相手にまわしがないと思いなさい」栃木山から今に伝わる春日野部屋のおっつけ
両国国技館内の相撲博物館で「栃木山・栃錦と春日野部屋」展が開かれており、秋場所の来場者らでにぎわっている(12月14日まで)。部屋の祖である栃木山と栃錦、栃ノ海の3横綱に現師匠の関脇栃乃和歌のほか、1997年夏場所新入幕の栃乃洋(現竹縄親方)から大関栃ノ心、現役の碧山まで7人の化粧まわしが並び、栃木山の時代から関取が絶えていない伝統を物語る。
1925年に引退した栃木山が出羽海部屋から特別に分家独立を許され、部屋の歴史が始まった。55年に入門した元栃ノ海の花田茂広さんから、生前に師匠の思い出を聞いたことがある。
「弟子の体を気遣ってくれる人だった。ちゃんこの材料もこれは幕下、これは三段目という具合に分けておいてくれた。飯と鍋の汁だけじゃ、しっかりした体ができないからと言ってね」
土俵では低く当たってからのおっつけや、相手の脇を押し上げるハズ押しをみっちり仕込まれた。大関までは決して大きくなかった栃錦も、そうして育てられた。
ハズ押しは栃木山の代名詞で、年2場所時代に優勝9回。まわしを取ったことがないという伝説もある。栃ノ海はよく言われたそうだ。
「相手にまわしがないと思いなさい」
64年、栃ノ海は100キロそこそこの体で横綱に昇進し、けがで在位期間は短かったが、大鵬を苦しめる技能派として好角家をうならせた。